好条件の支線を生かしきれなかった京阪の大失敗

まず、宇治線とは、交野線とは何たるか?こちらの画像をご覧いただこう。

ざっくりと京阪だけを描くとこうなる(大津線系統はややこしいので省いた)。うち、緑が宇治線、赤が交野線となっている。

では次に、これを見てくれ。こいつをどう思う?(撮影は樟葉)

おそらく全貌を知っている京阪ユーザーはこう言う。

すごく…大きいです(範囲が)

そう、なんと今の京阪はさっきのざっくり地図の黒線の部分を通しで走る普通を『いっぱいいっぱい』に走らせているのである。(アーチャー!)

では、なぜこうなったのか、大元を辿るならばそれこそが京阪の失策とその結果であると言い切れる。では、それらの解説を一つ一つ、わかりやすい解説になるよう試みていこうと思う。

1.複々線の失敗

複々線は1,2,3と順番に高架化とともにドバーっと作られ、守口市ー萱島の現状最後の区間と同時期の三条―七条の地下化も行われ、京阪の資金はドバーっと流れた。戦火や阪急の新京阪奪取によりボロボロとなった京阪を大復活させる『5か年大計画』のようなものとして進められた

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