まず、宇治線とは、交野線とは何たるか?こちらの画像をご覧いただこう。

ざっくりと京阪だけを描くとこうなる(大津線系統はややこしいので省いた)。うち、緑が宇治線、赤が交野線となっている。

では次に、これを見てくれ。こいつをどう思う?(撮影は樟葉)
おそらく全貌を知っている京阪ユーザーはこう言う。
すごく…大きいです(範囲が)
そう、なんと今の京阪はさっきのざっくり地図の黒線の部分を通しで走る普通を『いっぱいいっぱい』に走らせているのである。(アーチャー!)
では、なぜこうなったのか、大元を辿るならばそれこそが京阪の失策とその結果であると言い切れる。では、それらの解説を一つ一つ、わかりやすい解説になるよう試みていこうと思う。
1.複々線の失敗
複々線は1,2,3と順番に高架化とともにドバーっと作られ、守口市ー萱島の現状最後の区間と同時期の三条―七条の地下化も行われ、京阪の資金はドバーっと流れた。戦火や阪急の新京阪奪取によりボロボロとなった京阪を大復活させる『5か年大計画』のようなものとして進められたのだ。しかしながら、ここで京阪は致命的なミスを犯した。モータリゼーションの波に押され、京都市内の地上区間をすべて考えなしに地下化してしまったことだ。特に三条から七条区間は当時京津線とつながっており、びわこ号は廃止されていたものの、やり様さえ考えれば今なお阪津輸送はJRvs京阪の熱きデッドヒートが続いていたかもしれない。何なら京津線と石山坂本線は後述のように一体化し、石山線+京津線が名古屋線、坂本線+江若鉄道+北陸線はすべて京阪に取り込まれ、京阪は第二京阪帝国時代を迎えていたかもしれない(何なら阪神は京阪のものとなり、かつて新京阪を持って行った阪急とバチバチに争えたかもしれない)。人口減少を隠れ蓑・言い訳にし、愚将が犯した大失態を隠し続けているのだ。では、どうすればよかったのか、振り返ってみよう。
2.宇治線を伏見桃山または丹波橋につないで国鉄奈良線の息の根を止めていたら...。
まずこれが第一の失敗、失敗中の失敗といえる大変な愚策だ。なぜなら京阪がいまだに7両や4両限定駅があるという元凶で、車庫を淀あたりに集中できない(川を渡るので安全のために淀と樟葉になりそうだが)元凶、そして京阪がここまでじり貧となった原因の一つである。JR奈良線と京阪の東福寺ー宇治を並べてみていただければお分かりいただけるだろう。近鉄という旧巨椋池をまっすぐに突っ切るルートに対し、狭軌と標準軌がバチバチにやり合っている。互いに乗り入れることも不可能で邪魔でしかない。さらに稲荷駅と龍谷大前深草(旧深草)、伏見稲荷の客の取り合いや息の詰まるような混雑。この区間の衰退はまさに京阪とJRが無計画に争った結果の共倒れによって引き起こされた人災でしかない。 では、もし国鉄奈良線が廃止に追い込まれ、京阪が宇治線を丹波橋につなぎなおした場合はどうなっただろうか?結論から言うと観月橋は移設と同時に伏見桃山に統合されていた、もしくは今のJR桃山の位置に伏見桃山御陵駅が宇治線の駅としてできていたはずだ(今の伏見桃山駅は大手筋駅に改称されていた)。この人災がなければ京阪は今なお京都を飛び越え阪北をJR とバチバチに争う、何なら北陸新幹線延伸に伴い要らなくなった北陸線及び湖西線を完全にぶんどっていた。さらに言えば、北陸と奈良方面をつなぐ長大路線に化けていたはずだ。それらの可能性を全てドブに捨てた愚策中の愚策こそがこの宇治線に対する所業なのだ。
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